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松尾 利津子

1969年生まれ。生まれも育ちも長崎。祖父母含めた7人家族、4人兄弟の3番目。

和裁をしていた祖母の影響もあり幼少時から縫い物や物つくりが好きで新聞の折り込みチラシを見ていた時、冷蔵庫内の写真を大きさを合わせたに貼ればリアルだな、と浮かぶとミニチュアの中に設置してみたくなりできたのがコレ。築40年程です(近く写真アップ予定)。メダカやオタマジャクシ、犬、猫、ニワトリ、ウサギ、池の水を顕微鏡、化石探しや基地造り、土手すべり等々毎日遊びには事欠かず。不法投棄のタイヤを傾斜の強い土手の上から最後のジャンプ台もうまく乗り切ってどこまで転がせるか!を競う遊びも大好きで、土手の傾斜を重いタイヤを転がしながら上へ運ぶのは重くバランスも必要で大変だったがこれは体幹を鍛えるのに非常に役立ったと思う。

アニメに感化されては「明日のために、、その・なんだっけ?③?」など言いながら(知る人ぞ知る)片手でクワの柄を持って畑を耕したり、男の子と力試しのようなケンカをしたり。ある時寝ころんで新約聖書を読んでいたら涙が目じりを伝った事にびっくりしたのと不思議な気持ちがしたので聖書の言葉をとても意識するようになりこの頃から急に大人しくなったのだと思う。

母が看護婦だった影響から高校卒業後は看護学校へ。

姉に誘われたのがきっかけで18歳から4年間モルモンの教会に熱心に通う。祈れば心に安寧があり不思議な体験もいくつかあったので信じてはいたけれども神道や仏教など他の教えでもなぜ各々に熱心な人がいるのか、どれが本当とかは別に無くてもいいのか、その人たちの集いに試しに行ってそこでの様子を観察したり。看護師として病院勤めを始め数年たつと自戒の念から聖餐(パンと水)を辞退する事もあり自分を責めてしまう事が多くなり徐々に教会には行かなくなった。

仕事は結婚して子供ができてからもバタバタと続けていたが、​2007年看護師を辞め単身赴任だった夫の元へ娘と共に上京。

​まもなくシステムエンジニアの時間外労働で体調を崩した夫の内服治療が始まった。副作用の眠気等で解雇されたあとリーマンショックという不況のなか就活が長引き、砂を食べてるようだと味覚障害も出て極端に食べれなくなり薬が倍増。

半年後社会復帰したが、それからも悪化と緩解をくり返し、背中や頭部の強いかゆみ、頭痛、耳閉感、高血圧、胃潰瘍など身体症状もいろいろあるため1~3週間ごとどこかしらの病院への通院がずっと続いた。

2015年10月、非常に心をえぐる事象があり再び胃が固形物を受け付けなくなった。長年の治療でかなり身体に負担が積み重なっているのに、これを薬の増量でなんとかできるものだろうか、・・・塞ぎこんでいる訳でもなく見た目にはちょっと元気ないくらい、な様子で、内科で処方された高栄養の缶飲料で補食しながら出勤し続けてくれている夫はだんだん弱っていくように見えた。私は以前どこの耳鼻科でも全く改善しなかった夫の耳閉感が、たまたま出会った一度の靈氣で、その日から数日間だけにしろ、すっかり耳の詰まりが取れた事を思い出し「霊氣ができる人」で検索し、あるサロンにたどり着いた。

まともに食べれなくなって1か月半経っていた。2015年11月22日初めてのDNAアクティベーション。

心療内科では11月26日胃薬としても使われるドグマチールのみが追加された。何も様子が変化ないまま12月13日、2回目のDNAアクティベーション。変わらず。しかしその4,5日後、少しお粥を食べてみると言い出し普通食が見る間に食べれるように。無事お正月のおせち料理も食べれて。

​2016年春に私はヒーラーに、2017年春夫もヒーラーに。徐々に徐々に薬は減り2018年9月を最後に、まるまる10年間の長い通院生活が終わった。現在、会社通勤の夫はヒーラー活動はお休み中。代わりに(?)娘がヒーラーに。ときどき親子でもイベントに参加しています(*^^*)

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​山の中だと
疲れ知らずだよー
​👍
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